七夕の日に、願い事の短冊は書きましたか?
「〇〇がうまくいきますように!」みたいなものかな?
七夕のほかにも初詣、お七夜やお食い初め、お宮参りなどの子育ての節目
願いが叶いますように、この子に困難がありませんようにと祈る日がこの国にはたくさんありますね
キリスト教でも同様に自分の願いを祈りに込めることがあります
でも多くのお祈りは一味違うかもしれません
キリスト教の学校に通って初めてキリスト教に触れた人は
入学してから何をするにも最初と最後にお祈りすることに最初ちょっと戸惑いませんでしたか?
デイリーなクラス礼拝、入学式や卒業式はもちろん、
新入生オリエンテーション、遠足、球技大会、体育祭や文化祭、祈る祈る
クリスチャンの多い国や地域で暮らすと
地域のイベントに教会が深くかかわっているものも多く
やはりそういう催しの最初と最後にはお祈りがあります
その日この場所にみんなが集まれたこと、こういう催しの時を持てること、
これまで準備ができたことやこの集いを通してみんなで楽しく過ごせることへの感謝
その場にいるみんなが何のために集まったのか、この時間がどんな時間になるといいのか、
迷っていたりほかに気がかりなことがあって不安な人がいないか
祈りを通してそんな事に気づく時があります
人にわかるだけでなく、言葉にすることで自分でもしっかり認識できたり
ほかの人が自分を思いやってくれていると知ることもあります
その場にいる人の目的や思いが一つになってその活動が順調に進むし、
一丸となった後の達成感もひとしおです
そしてなにより、その祈りは必ず神様が聞いていてくださいますから、
安心することができるんです
社会人の方はお仕事していて、
同じプロジェクトにかかわっているチームメンバーが
それぞれ違う方向を向いてしまっているなという経験があるんじゃないかな
先輩や上司の思惑がわからないとか、世代の離れた部下の本心が見えないとか
そんな時、ここで一回みんなでお祈りしたらいいのになーと思ったりします
すると、一同は聖霊に満たされ、
“霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。
(使徒言行録 2:4)
これっていきなりスペイン語が堪能になったとかタガログ語が分かるようになったとか
そういう奇跡があったんでしょうし、それはそれでラッキーなんですが
もしかしたらそれだけじゃないのかもしれません
同じ日本語なのに相手に伝わらない
ケンカした友達とそっぽを向いてしまったり、
子育てしていてまだ言葉の未熟な子どもにイライラしたり、
遠く離れて簡単に会えなくなった人のことが気にかかったり
そんな時は、お互いに聖霊に満たされて相手の言葉で話せたらいいのにと
祈りに込めてみてはどうでしょう?
落ち着いて、ゆっくりゆっくり・・・
今この場が幸せに満たされますように、離れたあの人が元気でいますように
自分の願いと人への思いが一つになるのがキリスト教での願い方なのかもしれません
ね?七夕の短冊とはちょっと違うでしょ?
お祈りは神様との内緒話
必要なところは必要な時に、ちゃんと神様が相手に届けてくださいます

