希望があるから

礼拝

わたしはよみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は死んでも生きるのです
ヨハネによる福音書 11章25節

みんなの周りによみがえったものはある?
「手の皮がむけてたけどきれいに治った」
「失くして諦めていたものが見つかった!」
子ども達は次々と自分の思うことを話してくれます

教会のある津田沼の街も、いま絶賛再開発中
ここ数年、活気がなくなったようで寂しい気持ちだったけど、
最近は新しいお店やマンションができ、また人が増えてきました
もうすぐ映画館も復活します
結構身近にも小さなよみがえりってあるものです

イエス様のよみがえりはスケールが違いますよ( ´艸`)
だって、お墓に入っていたのにそこから出てまたみんなの前に現れるんですから

洗礼を受けたクリスチャンはこれを信じています
そこに希望があるから
希望があるって、楽しいし安心だし、いろんな挑戦ができるから

まだ聖書に親しんだことの無い方は、ここを「まさか?!」「嘘でしょう?」
と思ってしまうでしょうか
実際、クリスチャンでない方からはそんな意見を聞くこともあります

でもね、本当にそれって嘘なんでしょうか?
子ども達が思いつく小さなよみがえり
よみがえるという漢字だって「蘇る」「甦る」て二つもあります
本当はみんな「もうダメだ」と思った時、
でもまだ諦めたくない!何とかうまくいかないかな?ともがきたくなったり、
小さな可能性に賭けて、希望をつないでみたくなったりしませんか?

もちろん何でも思い通りの結果になるわけじゃありません
だけど希望をもって投げやりにならずにいたら、
新しい道や次のステージを示してくれる神様の声に気づけるものです
お墓の石をどかしてよみがえったイエス様ならきっと何か
私たちに必要なものを届けてくれるって信じて頼ってみたくなります
だったらもう、そのイエス様をいったん信じてみたらいいと思うのです
神様にゆだねて目を開き耳を傾けていたら、きっと新しいチャンスを見逃すこともないはず
ね?安心です( ´∀` )

この春も、新しくキリスト教主義の学校に入学した中学生が教会を訪れています
学校に入って初めてキリスト教に触れた子が多いです
慣れない聖書のお話を、大人の礼拝でも頑張って聞いてくれています(;^_^A
これからの学校生活や、時々教会でも礼拝をしていく中で聖書が身近になって
神様の恵みをたくさん感じてください
安心して、希望をもって、様々な挑戦ができますように!