人がその友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はない
ヨハネによる福音書 15章13節
1954年にあった本当のお話
青函連絡船「洞爺丸」が、台風で沈没した大事故のとき、
自分の救命胴衣を譲って人々を助け、自分は命を落とした人がいました
アメリカと、カナダから日本に来ていた二人の宣教師でした
みなさんは命を捨てられますか?
誰かのために自分を捧げるというのは口で言うほど簡単じゃありませんね
いざその場面になったとき、行動できる人は多くはないです
私がもしこの事故の現場にいたとしても
この宣教師のようにはできないだろうと思います(;^_^A
「愛」というと心の動きのように考えがちですが、
聖書が伝える愛は「行動を伴わせましょう」というものが多いです
生まれたての赤ちゃんは守られるものとして愛をもらう立場
子育ての経験がある方は、夜も寝ないでお世話をしたことがあるでしょう
でも保育園や幼稚園、小学校と年齢が上がるにしたがって
次第に人のためにやれることが身についていき、
いつかはもらうだけではなく、人に渡す日がやってきます
命を捨てるような超特大の愛でなくても
日常的に、身近な家族やおともだち、先生、たまたま接点のあった他人、
見も知らないSNSの画面の向こう側の人たちにも…
相手が悲しまないように、むしろ誰かが喜ぶように
考えて、行動までできる人になってほしいなと願います
礼拝が終わって帰る時、未就学年齢の男の子がみんなの靴を玄関に並べてくれます
小学生の子たちも、小さな子が危なくないようにちゃんと見ていてくれてますし、
椅子のお片づけ大丈夫?電気消しわすれてるよ?
なんて私たちスタッフを気遣う声をかけてくれたりします
この子たちは普段からきちんと行動できているってことです( ´∀` )
聖書に限らず、多くの文学作品、映像や音楽作品などでも「愛」をテーマにしていて、
私たちは普段からそれらに接しているから愛ってなんとなく分かっているはずなのに、
現実でそれが必要な場面になると自分の欲や都合を優先してしまい、
適切に行動することをためらってしまったりします
命を捧げるような大きなことだけではなく、まずは日常から
「愛」の先にある行動を考える人の真ん中に、神様がいてくださいます
